
親の介護や相続対策を進める中で、財産を受け取るはずの「相続人」が認知症になってしまうケースが急増しています。超高齢社会を迎えた現在、配偶者や兄弟といった共同相続人が認知症を発症するリスクは誰にでも起こり得ます。万が一の事態にご家族が慌てないよう、起こりうるトラブルと効果的な生前対策を初心者向けにわかりやすく解説します。
相続人の中に一人でも認知症の方がいると、その方を交えた遺産分割協議は法的に無効となる恐れがあります。
認知症が進行すると、契約などの法的な判断を下す「意思能力」が失われているとみなされるためです。
だからといって、認知症の相続人を仲間外れにして、元気な家族だけで勝手に遺産の分け方を決めることは法律上認められません。
遺産分割協議を有効に成立させるには、必ず「相続人全員」が参加して合意する必要があるからです。

認知症の相続人を放置すると、亡くなった方の預金解約や不動産の名義変更といった手続きがすべてストップしてしまいます。
葬儀費用などを引き出すための仮払い制度もありますが、これには上限が設けられています。
具体的には、1つの金融機関につき「預金残高の3分の1に自分の法定相続分を掛けた金額(最大150万円まで)」しか引き出せません。
さらに注意すべき点は、2024年4月に義務化された不動産の相続登記です。
遺産分割が終わらないまま、不動産相続を知ってから原則3年を過ぎると、10万円以下の過料を科されるリスクが生じます。
「相続人申告登記」という暫定的な手続きで過料は回避できますが、不動産の売却や活用はできないままです。
また、相続開始から10年が経過すると、生前の介護などの貢献(寄与分)や特別な資金援助(特別受益)を遺産分割に反映させることが原則できなくなります。
その結果、個別の事情を考慮しない画一的な法定相続分で分けることになり、家族間にしこりを残す原因となります。
なお、法改正より前(2023年3月以前)に発生していた過去の相続についても、「2028年(令和10年)3月末」または「相続開始から10年」のどちらか遅い時期を過ぎると同様の制限がかかります。
※注意点として、不動産の相続登記義務化の猶予期限は「2027年3月末」となっており、遺産分割のルールとは異なりますので混同しないようご注意ください。
昔の相続をそのまま放置している方は、早急な対応が必要です。
認知症の相続人がいる状態で遺産分割を進めるには、本人の代わりに話し合いに参加する法的な代理人が必要です。
具体的には、家庭裁判所に申立てを行い「成年後見人」などを選任してもらいます。

しかし、ここで問題となるのが、利益が衝突する「利益相反」というルールです。
たとえば、母親の成年後見人を長女が務めており、その長女自身も母親と一緒に父親の遺産を相続するケースが該当します。
長女にも遺産を受け取る権利があるため、母親の代理人を兼任すると自分に有利な分割をする危険があるとみなされるのです。
このようなケースでは、今回の相続に全く利害関係を持たない第三者を「特別代理人」として家庭裁判所に選んでもらう必要があります。
つまり、成年後見人を選任した上で、遺産分割協議のためだけに特別代理人も追加するという二重の手間と時間がかかります。
※すでに成年後見監督人が選任されているようなケースは除外されます。
最初から弁護士や司法書士が成年後見人に就任していれば、その専門家がそのまま代理人として話し合いに参加できます。
ただし、専門家に依頼すると、本人が亡くなるまで毎月数万円の報酬を支払い続けることになり、家族にとって大きな負担です。
さらに、成年後見人を立てると、家族の思いやりや事情をくんだ柔軟な遺産分割ができなくなるというデメリットがあります。
成年後見人の最大の使命は「本人の財産を減らさずに守ること」であるため、認知症の相続人は原則として法定相続分をきっちり要求されます。
その結果、施設に入所してお金を使う予定のない親へ多額の財産が集中し、将来の「二次相続」で高額な相続税が課される原因を作ってしまうのです。
相続が発生してから相続人の認知症が判明すると、手続きに膨大な時間と費用、そして家族の労力が奪われます。
こうした事態を回避する最も確実な対策は、財産を残す親が元気なうちに「遺言書」を作成しておくことです。
遺言書ですべての財産について「誰に」「何を」渡すか明確に指定しておけば、そもそも遺産分割協議を開く必要がありません。
相続人に認知症の方がいても、成年後見人などを立てる苦労をせずに、スムーズに名義変更の手続きを進められます。
遺言書を作成する際は、「記載した財産以外のその他一切の財産は長男に相続させる」といった一文を必ず盛り込みましょう。
この一文があるだけで、後から未知の口座などが見つかった場合でも遺産分割協議を確実に回避できます。
ただし、認知症の相続人に財産を一切渡さない極端な内容にすると、後から「遺留分(法律で保障された最低限の取り分)」を請求される可能性があります。
遺言書を作る際は、専門家を交えて全体のバランスを考えることが大切です。
また、遺言書の確実性を高めるためには、公証役場で作成する「公正証書遺言」の形式を強くおすすめします。
公証人が関与するため後から無効を主張されるリスクが激減し、家庭裁判所での「検認」という面倒な手続きも不要になります。
さらに、遺言書には手続きを代行する「遺言執行者」を必ず指定しておいてください。
遺言執行者がいないと、一部の金融機関で口座解約時に「相続人全員の署名や実印」を求められてしまうケースがあるからです。
ここまでは相続人が認知症になった場合のリスクをお伝えしましたが、そもそも「財産を残す親自身」が認知症になると遺言書すら作れなくなります。
そこで、遺言書とセットでぜひ活用を検討していただきたいのが「家族信託」です。
家族信託を活用すれば、もし親が認知症になった後でも、あらかじめ任せておいた財産の管理や処分を家族の判断で行えます。
ただし、家族信託はあくまで「財産管理」に特化した制度であるため、身上保護(介護施設への入所手続きなど)や遺産分割協議への参加といった個人的な行為は代理できません。
そのため、介護施設に関する契約などの身上保護をカバーするには、「任意後見制度」の併用が非常に効果的です。
任意後見制度も家族信託と同様に、親が元気で判断能力がしっかりしているうちに契約を済ませておく必要があります。
生前の柔軟な財産管理を実現する「家族信託」と、死後の遺産分割トラブルを防ぐ「遺言書」の組み合わせが、極めて強力な相続対策となります。
ご家族が将来認知症になるリスクを見据えて、手遅れになる前に、今日から早めの生前対策をスタートさせましょう。